闘将、星野仙一という男の運命

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闘将、星野仙一という男の運命
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おはようございます晴れ

 

さて昨日は、野球界野球の伝説となった、
星野仙一監督について少し触れましたが、

 

ファンの方も多いようですので、
星野監督について書きたいと思います。

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星野仙一監督「KIN69 音4 赤い月/白い世界の橋渡し」
akaituki  shiroisekainohashiwatashi

 

岡山県、倉敷市出身。

 

監督がまだお腹にいる頃、
お父様がお亡くなりになり、

 

お母様の教育の元、
女手一つで育ちます。

 

母親からはいつも、
「人が喜ぶことをしなさい」
と教えられて育ったためか、

 

ボランティア活動にも熱心で、
選手には「人生の1%をボランティアに捧げ」と説いていたそうですひらめき電球

 

メディアでは、厳しい面を取り上げられることが多かったですが、
実は、心根は優しくて、愛情ハートに溢れたお人柄です。

 

倉敷商業高等学校へ進学すると、
野球野球の才能が開花します。

 

惜しくも甲子園の出場は果たせませんでしたが、
明治大学の政治経済学部経済学科に入学後は、

 

東京六大学野球で、後のプロ野球界をリードする、
田淵幸一氏や山本浩司氏と共に活躍します。

 

僕の父は、星野監督と同大学の同学部出身なのですが、
星野監督が大好きで、いつも「星野、星野」と言っていたことを思い出します。

 

中日ドラゴンズドアラの監督時代には、
ドラゴンズが勝つと、上機嫌になり、
時には、明治大学の校歌まで熱唱していました。

 

僕は、巨人ジャビットファンだったので、
敵視していましたけどね(笑)

 

星野監督の指導スタイルは、
「闘将」「燃える男」メラメラと呼ばれ、

 

時には「鉄拳制裁」と称して選手を殴るなど、
指導のためには、暴力を振るうことも辞さなかったのですが、

 

今の時代であれば、問題視されてしまうような行為ですが、
星野監督の厳しくも愛情のある指導を受けた選手達は、
後に大成し、多くの選手が彼の元から育っています。

 

監督になってからの偉業は、ご承知の通りで、
中日ドラゴンズ、阪神タイガース、東北楽天ゴールデンイーグルス監督を務め、
2008年には、北京オリンピックオリンピック野球日本代表の監督を務めます。

 

最下位だったチームを、僅か2年で、
見事、優勝優勝カップまで導くなど、

 

指導者としての力量は秀でており、
その功績が称えられて、
昨年末には、野球殿堂入りキラキラを果たしました。

 

非常に興味深いのは、
東京六大学野球で出会った、

 

田淵幸一氏と山本浩二氏との関係性ですが、
星野監督と、親友と呼ぶ間柄のとおり、

 

3人の相性を占うと絶妙な関係があることが分かりました。

 

明日は、野球界の大御所3人の関係性を占ってみたいと思いますサーチ
ファンの方必見ですよ。お見逃しなくビックリマーク

 

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今日も元気に行ってらっしゃい^^

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